- Japan Gunma Texstyle / 日本
- 2022年6月19日
Introduction はじめに
2022年6月19日から22日に「上州テキスタイル紀行」に参加しました。
いつもお世話になっている個性的な海外ツアーが多い「S旅行」さんがコロナ禍で企画した国内ツアーです。2020年春に始まったコロナ禍の第6波が比較的治まっていますが、海外へのツアーはまだ無理な感じ、やっと近くの国内観光が動いているところでしょうか。
今回のツアーは世界遺産になった群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群 (Tomioka Silk Mill and Related Sites)」を中心に、絹産業のコアな部分を見学する企画になっているようです
最初にこのツアーのタイトルを見た時、県内在住の私は「へ?群馬でテキスタイルツアー?」と思いました。私の住んでいる場所は群馬といっても、もともと観光地ではなく、2014年に世界遺産の一部に制定されてから急に脚光を浴び、観光客がやってくる場所へと変化したのです。ですから「東京の旅行代理店が地元を観光する」この企画には少し驚きもありました。
ですが、よくよく考えてみると脚光を浴びてから数年経ち、コロナ禍で観光客の減少中の中、私が各施設に関心をもっていても、ひとりでの解説付けての見学はできないし、自分だけでは踏み込むことのない絹産業のコアな部分も今回は見学することができるらしいと急に興味がわきはじめ、申し込むことにしたのです。
以前は私もテキスタイルに係わる生活をしていたので、今回はそのことに興味のある方々との交流なども楽しみに、旅行がはじまりました。
ツアー集合の当日、旅は順調に始まると思いきや、いきなりのアクシデント。家を出てからの最初の移動手段で乗車した上信電鉄の車両がまさかの途中事故で、その場で足止めとなってしまったのです。予定していた東京からくる方と合流の新幹線に乗ることができず、集合時間には間に合わないという波乱のスタートとなってしまいました。
田植えがすんだばかりの見渡しの良い場所での事故。車両内で救急隊員による体調確認、警察署員による個人確認作業を受け、すでに1時間の足止め、完全に予定の新幹線には間に合わない状態です。これから高崎に向かい別の新幹線に乗ってもツアーは置いてけぼり状態確定で、ここにタクシーを呼んで移動を考えても高額になるし、思案の末、身内のスーパーお助けマンを呼んで集合場所まで送ってもらうことにしました。目標建築物の無い田んぼの真ん中で、自分のいる位置の説明&合流はかなり大変でしたが、電車から下車し、やっと動き始めることができました。
とんだハプニングでしたが、お助けしてもらえる日曜日、そして国内の近場ツアーでヨカッタ。。
海外旅行だったら完全に旅行断念でした。
そこから動き出し、送ってもらう目的地を集合場所と考えましたが、その場所よりも最初の見学場所の中之条の方が近いことがわかり、急遽そちらに向かうことにしました。
今回はツアーメンバーでもうひとり、別のトラブルで遅れた方がいるとのことで、添乗員Fさんに中之条駅まで迎えに来ていただき無事みなさんと合流、本当のツアーが始まりました。
上信電鉄(じょうしんでんてつ)
群馬県高崎市の高崎駅と甘楽郡下仁田町の下仁田駅とを結ぶ鉄道路線です。
現存する日本の私鉄路線のなかでは、南海電気鉄道・伊予鉄道についで3番目に開業しており、東日本最古の私鉄なのだそうです。
現在、高崎駅ではJRと上信電鉄のホーム改札は分断されていますが、以前は旧1番線ホームと並んで0番線となっていました。
日本の鉄道の歴史として1872年(明治5年)に新橋 - 横浜間が開業。当時の日本は貿易赤字解消の外貨獲得を目的とした殖産興業政策として、生糸や絹織物等の製品の輸出を推進しており、養蚕業と製糸業の盛んな群馬県から、貿易港である横浜港まで運ぶ手段が必要とされていた。
その中、1883年(明治16年)に現在のJR高崎線である「日本鉄道の第1期線」の上野 - 熊谷間で仮営業を開始。翌1884年(明治17年)に高崎駅、前橋駅まで延長された。1885年(明治18年)に第2期線(後の東北本線)が延長されるなどし、群馬と横浜を結ぶ鉄道が開通した。
上信電鉄は1895年(明治28年)この群馬の鉄道の要となった「高崎」と県西部の甘楽・富岡・下仁田を結ぶ地域交通の改革の流れの中で、同時に小坂鉄山・青倉石灰山等の産出物を搬出することを目的とした「上野(こうずけ)鉄道株式会社」として設立。その後、1897年(明治30年)に高崎 - 下仁田間33.7km全線が開通し、客貨混合列車が全線を走行するに至ったようです。