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  • 2023年10月11日

Bukhara中央アジアの中心・オアシスの都『ブハラ』

目指す都市「ブハラ」は「サマルカンド」から西へ約300km。また車で5時間近くの移動です。
この都市は長い間、中央アジアの重要な経済と文化の中心地でした。オアシスを中心に発展し、灌漑設備も早くから充実して13世紀のチンギス・ハンによるモンゴル侵攻などで破壊されたあとはあるものの、16世紀に城塞などは再建され現在に至るまで町の中心地となっていたようです。

  • ブハラ歴史地区は 2,000年以上の歴史があり、現在も10世紀から17世紀の中央アジアの『イスラム都市構造』をほとんどそのまま残しているので、1993年に「ブハラ歴史地区」として旧市街地がユネスコの世界遺産に登録されています。

ボロ ハウズ モスク (Bolo Haouz Mosque)

  • このモスクは18世紀以降、歴代のブハラの首長がソ連征服下時代にも金曜モスクとして使われていました。私たちは中に入ることは許されないので、正面の20本の彫刻が施された柱とイワーン (iwan)と言われるファサードから突き出た門の見学です。柱の付け根部分やファサードの中心は色とりどりのムカルナスで飾られています。横には1917年に建てられた小さなミナレットも見ることができます。
    モスク前にはハウズ (Haouz) と呼ばれる貯水池があり、ここで沐浴などが行なわれたようです。ここからも水の豊富なオアシスの都市というのがわかります。
    伝統的なペルシャ建築でのハウズは中庭や私有地内に作られたプールのことで入浴や美容のために使われたものを指します

  • 1本だけ彫刻が残る柱。柱の上の方はムカルナスで装飾されている
  • ムカルナスの装飾
  • 1917年に建てられたというミナレット
  • 水の豊富なハウズと呼ばれる貯水池

アルク城 (Ark of Bukhara)

紀元前4世紀頃から端を発する古代ブハラの中心地に建てられた城。13世紀にはチンギス・ハンに、その後も何度も外敵に破壊されては再建されるなどを繰り返して現在の形に。歴代のブハラ・ハンの居住地として使われてきたようです。現在は歴史博物館などとして使われています。
大きな城門をくぐり少し急勾配で大きな石畳のスロープ(動物に乗って入城したと思われる感じ)を進んで行くとモスクとして使われていた木造建築の建物が目の前に現れました。この建物はモスクと言ってもムカルナスで装飾された天井や壁面の色合いやデザインがなぜか東洋(中国)を感じます(私的感想)。そして城内のいくつか部屋は博物館となっていて陶器や王の衣装、民族衣装などが展示されています。
この場所へやってきて、城前の信号機でわたるのを待ちながら、城塞のギザギザした城壁部分を眺めていたらインドの『アグラ城』を思い出しました。城壁の色は採掘される砂岩のせいでかなり違いますが、どちらもイスラム建築の城としてなにかつながりがあるのでしょうか?後で調べてみましょう。

  • 城門
  • 木造モスク
  • なぜか東洋(中国?)の香りのする天井のムカルナス
  • 壁面も東洋を感じる
  • 城内にある博物館の展示物(陶器)
  • 城内にある博物館の展示物(衣装)
  • ライオンに守られた倉庫
  • 王の謁見広場はスザニ刺繍のアーケードのようになっていた

チャールミナル (Chor Minor)

  • 4本のミナレットをもつ建物。旧市街から少しだけ離れた閑散とした住宅街に建っていました。
    早朝の訪問で管理をしている人も来ていなかったのでかなり閑散としていたが、しばらくして中に入れてもらえました。
    4畳半くらいの1階は、塔の説明資料などが置かれたちょっとしたショップに。中に階段があって屋上まで上がることができます。
    4本のうちの1本のミナレットの上にコウノトリの巣の置物が設置されています。実際の鳥に巣を作らせないためでしょうか?

イスマイール サマーニ廟 (Ismoil Samoniy Maqbarasi)

イスマイール・サマーニ廟は中央アジア最古のイスラム建築と言われています。
9世紀末に中央アジアに成立したサーマーン朝の王族が眠っています。13世紀のモンゴル帝国の襲来の際にブハラの多く建造物が破壊されましたが、この廟は砂の中に埋もれていたためにモンゴル軍による破壊を免れたようです。1926年にソ連の考古学者のビャトキンによって発掘されるまで気づかなかったそうで、かなり保存状態がよく原型が残っています。
私の思う『レンガ積み』とは漆喰などによりフラットな面で構成されている建造物ですが、この廟はいくつかのシンプルな形の焼成レンガの凸凹の陰影で、さまざまな模様を浮き出し壁面を作っています。色合いもシンプルですが当時の建築技術とデザイン性の高さを感じることができる廟でした。

  • シンプルな色合いの廟
  • 凹凸の陰影でデザインされた壁面はとても魅力的
  • 廟の内部

カラーン モスク (Kalon Mosque)

  • ブハラの中心、アルク城に隣接した巨大なモスク。1515年頃に完成。このモスクも13世紀のチンギス・ハンにより破壊されましたが、16世紀に再建されたそうです。カラーンとはタジク語(ペルシャ語)で『大きい』と意味するようでかなり巨大な建造物です。
    モスクの建築様式は、サマルカンドのビビハニム・モスクに類似しています。アーチ型に突き出したイワーンのファサードは東向き。そこからモスク内に入ると288個のアーチ状の列柱の回廊に囲まれた広い中庭を臨むことできました。

    1. カラーン ミナレット (Kalon Minotral)
      チンギス・ハンの破壊行動も免れたそうで重要な建造物ですが、今回は下からの写真を納めていなかった
    2. ミル・アラブ・マドラサ (Mir-i Arab Madrassah)
      広場をはさんで2つのドームをもつ建物。現在も神学校として使われています
  • モスクの中庭
  • 八角形の書見台
  • モスクの中庭
  • モスクの回廊
  • カラーン ミナレット (Kalon Minotral)の背面。
  • ミル・アラブ・マドラサ (Mir-i Arab Madrassah) のファサード

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